いつもブログを閲覧いただいて、ありがとうございます。

今回は、"今、顕正会員に伝えたい真実 「顕正会員を救う」特集号1"と題して、私の胸中にある思いの丈を全国の顕正会員に向けて発信したいと思います。

御遺命が不相伝家の顕正会にある?


顕正会員に誘われて、ビデオ放映や部集会等に足を運んでいるうちに、それについて何度も何度も聞かされた結果、それが記憶となって蓄積し、ついに御遺命が国立戒壇だと信じてしまった皆さん。

  • それを何度も何度も盛んに教え、そして現在も繰り返し教えている指導者は誰ですか?

  • あなたは、御遺命が国立戒壇であることの根拠や裏付けを顕正会機関紙・書籍等に頼らず、ご自分で検証されましたか?

  • もしかしたら、その指導者が教えている「御歴代上人が七百年来、異口同音に叫び続けてこられた」(『基礎教学書』303頁)という話を鵜呑みにして、本来確認すべき検証作業をしないまま現在に至っていませんか?

そして、唯一正しい御遺命を実践しているのが顕正会であると。

一度、立ち止まって考えよう!


これは、その前提条件が「御遺命が国立戒壇だった場合」ですから、もし仮にそうでなかった場合には、その土台の上に構築された顕正会教義のすべてが一瞬で覆(くつがえ)される結果になります。

いずれにしても御遺命が国立戒壇であるとする、根拠や裏付けを検証する必要があります。
なぜなら、もし、その御遺命が間違っていた場合には、仏法上、取り返しのつかないことになってしまうからです。

国立戒壇文証は近代の四上人のみ!


次いで大正以降の歴代上人の文証を挙げる。
五十九世・日亨(にちこう)上人
六十四世・日昇上人
六十五世・日淳上人
六十六代細井日達上人
(『基礎教学書』305~307頁)

まず、御書に国立戒壇という名称はありません。
そして、この国立戒壇という造語は明治時代に誕生したことから、宗門でこの名称をお使いになられた御歴代上人は前掲のとおり、大正(日亨上人御登座は大正15年=昭和元年)以降の四上人のみです。

このことから御在世の鎌倉時代には国立戒壇という名称が存在しなかったということを浅井昭衛が文証を以って立証しているのです。

ダブルスタンダードに騙されないで!


  • 御遺命の国立戒壇

  • 国立戒壇文証は大正以降の四上人のみ(趣意)」(『基礎教学書』305~307頁)

この2つは、どちらも浅井昭衛の発言であることは言うまでもありませんが、これを俯瞰でみたときに御在世の鎌倉時代(立宗宣言1253年)から大正14年(1925年)までの673年間、国立戒壇文証を以って立証できていないことに改めて気づくのではないでしょうか?

つまり、浅井昭衛の国立戒壇論は、この説明責任を放置したままの不完全な持論に過ぎません。

御遺命とは


日蓮一期(いちご)の弘法、白蓮阿闍梨日興に之を付嘱す、本門弘通の大導師たるべきなり。国主此の法を立てらるれば、富士山に本門寺の戒壇を建立せらるべきなり。時を待つべきのみ。事の戒法と謂ふは是なり。就中(なかんずく)我が門弟等此の状を守るべきなり。
  弘安五年壬午九月 日     日 蓮 花押
     血脈の次第 日蓮日興
『日蓮一期弘法付嘱書』弘安5年9月 61歳(御書1675頁)

久遠元初の御本仏宗祖日蓮大聖人より久遠元初の僧宝である開山第二祖日興上人に御相承されたところの「富士山に本門寺の戒壇を建立せらるべきなり」であり、日興上人を随一とする御歴代上人に御相承されたところの御法門ですから、日蓮正宗総本山大石寺を離れて御遺命はありません。

新宗教から一日も早く脱会し、末法に広宣流布すべき御本仏宗祖日蓮大聖人の出世の御本懐である本門戒壇の大御本尊に御目通りさせていただきましょう!
創価学会・顕正会・正信会の皆さん、ご質問・ご相談等お待ちしております。

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