ルール、法には段階がある。まずは家族、友人との約束や決め事。それから町や集落の決まり。さらに国の法律や国際法。ここまでは相手があり、共益のため。
 さらに、天体の運行などの法則もある。
 これらと違い仏法は、絶対的ですべてを包含(ほうがん)する。そして法は守るもの。破れば当然、因果によって罰せられる。

非法(ひほう)の衆と化(か)した学会

 日蓮大聖人の仏法においては、出世の本懐たる本門戒壇の大御本尊を信仰の根幹とし、大聖人以来の血脈を承継される御法主上人猊下の御指南に基づいて自行化他に邁進(まいしん)することに尽きる。これは、時代の趨勢(すうせい)がどう変わろうと万古不易(ばんこふえき)の鉄則である。
 創価学会はこれを破った。
 まさに大聖人の訓戒(くんかい)、
 「背(そむ)く在家出家共の輩(やから)は非法の衆たるべきなり」(御書 一六七五㌻)
の「非法の衆」そのものだ。
 例えば、自らが定めた以前の会則では、
 「この会は、日蓮正宗の教義に基づき、日蓮大聖人を末法の御本仏と仰ぎ、日蓮正宗総本山大石寺に安置せられている弘安二年十月十二日の本門戒壇の大御本尊を根本とする」
と明記し、本宗外護を目的とする団体であることを内外に誇示していた。
 ところが今はどうだ。信仰の根源である御本尊に関する血脈相伝の深義を無視して、勝手に『ニセ本尊』を作製・頒布(はんぷ)する。僧宝たる御法主上人猊下を誹謗(ひぼう)中傷するなど、本宗の化儀信条をことごとく破壊し、挙(あ)げ句(く)に、大御本尊への信仰を放棄した。
 大御本尊と血脈法水(けちみゃくほっすい)への尊信は、大聖人が定められたルールで、どのような理由があろうと遵守(じゅんしゅ)すべき、信仰者の生命線なのだ。それを学会は、破門されるや手前勝手に作り変えた。ルール無用の邪教団、"池田教"誕生である。

変貌の本質

 今を遡(さかのぼ)ること約三十年前に学会は破門された。彼らは「魂の独立」などと、まるで正しいことをしたかのように繕(つくろ)っている。
 宗門は、七百数十年、大聖人の定められた根本をどこまでも正しく守り抜いてきた。
 一方、池田大作は宗門を外護する信徒団体の最高責任者でありながら己(おのれ)の慢心と不信心により仏法のルールを平然と破り、ついに信徒除名処分に付された。
 その大作の非行を正当化するため、この三十年来、創価学会は本尊・教義・規則などを、なりふりかまわず改変してきた。最優先なのが仏法のルールに随順することではなく、大作を守ることにあったからだ。
 大作は、自分の心を仏法に任せることができず、自分の心に任せて仏法を利用した。この我(われ)こそが仏法の主体者と思い上がる大増上慢が、学会変貌の本質だ。
 どこまでも大聖人の仏法が「主」であり、我々はあくまでも「従」の立場であることを銘記すべきである。
 実は、大作の慢心は破門前後から顕著になったのではない。

大作こそが元凶

 一例を挙げれば、昭和四十九年の「北条文書」などには、宗門を支配し、あるいは独立するという謀略が記されている。長年にわたり「学会が主、宗門が従」「大作が主、仏法が従」という不遜(ふそん)極まる考えを持っていたのだ。
 幸いにも、総本山第六十六世日達上人並びに第六十七世日顕上人の度重なる御教導により、大作はその野望を果たせなかった。
 そして、自身の慢心に端を発する、五十二年路線と言われる教義逸脱問題の責任を取って宗門に謝罪し、会長職を辞任した。
 しかし、鬱積「うつせき」した大作の怨念と傲慢(ごうまん)は、平成の代に顕在化し、破門の今日へと繋(つな)がるのである。
特に若い学会員たちは、これら一連の歴史事実を知らない。教学試験テキストなどでも改竄(かいざん)された歴史を教えられ、自分たちは正しい、被害者だと刷り込まれているが、それは大間違いだ。学会破門の元凶は、ひとえに大聖人の仏法を私(わたくし)する大作の大慢心と、不信謗法に存するのである。
 謗法充満によって世情が騒然とする今こそ、私たち法華講は学会員に救済の手を差し伸べていこう。
(大白法1028号 令和2年5月1日)

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