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このシリーズも今回で第6回になりますが、浅井昭衛が改変した教義の数々が日蓮大聖人の文証に適っているか否か、御書に照らして検証してみたいと思います。

今回も、顕正会では決して開示されることのない、真実の核心に迫ります。

今回は、全6回シリーズの第6回です。

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宗教法人顕正会
松野殿御返事

「松野殿御返事」を拝し奉る

大聖人の心に背いて唱えても功徳はない
 但(ただ)し此の経の心に背きて唱えば、其の差別有るべきなり。(中略)
「――ただし、此の経の心に背いて唱えるならば、いかに唱えても功徳はない――と。この仰せは、まことに重大ですね。
 『此の経の心に背く』とはどういうことか。その元意(がんい) (究極の意)は、日蓮大聖人の御心に背くことです。
 具体的にはどういうことかといえば、『(中略)』の部分において、大聖人様は法華経譬喩品(ひゆほん)の『十四誹謗(じゅうしひぼう)』を、妙楽の記(き)の五の文を引いて示された上で
 『此の十四誹謗は在家・出家に亘(わた)るべし。恐るべし、恐るべし。乃至、之(これ)を以て之を思うに、忘れても法華経を持つ者をば互いに毀(そし)るべからざるか。其の故は、法華経を持(たも)つ者は必ず皆仏なり。仏を毀(そし)りては罪を得るなり。加様(かよう)に心得て唱うる題目の功徳は、釈尊の御功徳と等しかるべし
 と仰せられている。(中略)

 では、大聖人の御心に背いて唱える題目とは、どういうものか。これを今日(こんにち)に当てはめて具体的に言えば、次の三つになる。
 一には、身延等の邪宗日蓮宗、あるいは立正佼成会や霊友会等です。これらの輩も題目は唱える。しかし彼等は大聖人出世の御本懐たる戒壇の大御本尊を信ぜず、誹謗している。だからいかに唱えるとも全く功徳はない。かえって悪道に堕ちるのであります。
 二には、たとえ正系門家に身を置いていても、大聖人様の一期(いちご)の御遺命に背いて唱えるならば、功徳はない。これが今の学会・宗門の姿です。御遺命たる国立戒壇を捨て、偽戒壇・正本堂を作ったことが、どれほど大聖人に背き奉ることになるか。国立戒壇建立を御遺命あそばした一期弘法付嘱書には『我が門弟等此の状を守るべきなり』とある。これに背くことは師敵対となる。だから功徳を失うのであります。
 三には、顕正会員であっても、自分のひねくれた心や修羅の心で、けなげに御奉公する同志を軽んじたり、憎んだり、怨嫉(おんしつ)したり、恨んだりすれば、たとえお題目を唱えても功徳を失うのです。」
『「松野殿御返事」を拝し奉る』平成23年4月3日 刊行 浅井昭衛著書 (14~16頁)
※下線筆者

日蓮正宗
本来の御書

日蓮大聖人文証

「御文(ふみ)に云はく、此の経を持ち申して後、退転なく十如是・自我偈を読み奉り、題目を唱へ申し候なり。但し聖人の唱へさせ給ふ題目の功徳と、我等が唱へ申す題目の功徳と、何程の多少候べきやと云云。更に勝劣あるべからず候。其の故は、愚者の持ちたる金(こがね)も智者の持ちたる金も、愚者の燃(とも)せる火も智者の燃(とも)せる火も、其の差別なきなり。但し此の経の心に背きて唱へば、其の差別有るべきなり。此の経の修行に重々のしな(差)あり。其の大概(おおむね)を申せば、記の五に云はく『悪の数を明かすをば今の文には説不説と云ふのみ』と。有る人此を分かって云はく『先に悪因を列(つら)ね、次に悪果を列ぬ。悪の因に十四あり。一に憍慢(きょうまん)・二に懈怠(けだい)・三に計我(けいが)・四に浅識(せんしき)・五に著欲(じゃくよく)・六に不解(ふげ)・七に不信・八に顰蹙(ひんじゅく)・九に疑惑・十に誹謗・十一に軽善(きょうぜん)・十二に憎善(ぞうぜん)・十三に嫉善(しつぜん)・十四に恨善(こんぜん)なり』と。此の十四の誹謗は在家出家に亘(わた)るべし、恐るべし恐るべし。過去の不軽菩薩は一切衆生に仏性あり、法華経を持たば必ず成仏すべし、彼を軽んじては仏を軽んずるになるべしとて、礼拝の行をば立てさせ給ひしなり。法華経を持たざる者をさへ若し持ちやせんずらん、仏性ありとてかくの如く礼拝し給ふ。何(いか)に況(いわ)んや持てる在家出家の者をや。此の経の四の巻には『若しは在家にてもあれ、出家にてもあれ、法華経を持ち説く者を一言にても毀(そし)る事あらば其の罪多き事、釈迦仏を一劫の間直(ただ)ちに毀(そし)り奉る罪には勝れたり』と見へたり。或は『若実若不実(にゃくじつにゃくふじつ)』とも説かれたり。之を以て之を思ふに、忘れても法華経を持つ者をば互ひに毀るべからざるか。其の故は法華経を持つ者は必ず皆仏なり。仏を毀りては罪を得るなり。
 加様(かよう)に心得て唱ふる題目の功徳は釈尊の御功徳と等しかるべし。
『松野殿御返事』建治2年12月9日 55歳 (御書1046頁) (別名『十四誹謗抄』『末代禁抄』)
※下線筆者

<御書解説>
「はじめに松野殿は、
 『聖人の唱へさせ給ふ題目の功徳と、我等が唱へ申す題目の功徳と、何程の多少候べきや』
と、唱題の功徳勝劣を質問されました。これに対して大聖人様は、
 『其の差別なきなり』
と、題目に差別のないことを示されます。
しかしながら、
 『但し此の経の心に背きて唱へば、其の差別有るべきなり』
と、経の心に背(そむ)いて唱えるならば、そこには差別があることを明確に示されます。
 そして、さらに十四誹謗の訓戒を示されます。十四誹謗とは、『法華経譬喩(ひゆ)品』を依文として、妙楽大師の『法華文句記(ほっけもんぐき)』の五に、悪道に堕(お)ちる因業として十四の謗法が挙げられています。
 すなわち、
   ①憍慢(きょうまん)(驕(おご)り高ぶって正法を侮(あなど)ること)
   ②懈怠(けたい)(仏道修行を怠(なま)けること)
   ③計我(けいが)(自分勝手な考えで仏法を推(お)し量(はか)ること)
   ④浅識(せんしき)(自らの浅はかな知識で、深く広い仏法を判断しようとすること)
   ⑤著欲(じゃくよく)(欲望に執着して正法を軽んじ、求めようとしないこと)
   ⑥不解(ふげ)(仏法を正しく解(わか)ろうとしないこと)
   ⑦不信(ふしん)(正法を信じないこと)
   ⑧顰蹙(ひんじゅく)(正法を非難すること)
   ⑨疑惑(ぎわく)(仏法を疑い、迷うこと)
   ⑩誹謗(ひぼう)(仏法を謗(そしり)、罵(ののし)ること)
   ⑪軽善(きょうぜん)(根本善である正法を受持する者を軽蔑(けいべつ)し、莫迦(ばか)にすること)
   ⑫憎善(ぞうぜん)(正法を受持する者を憎むこと)
   ⑬嫉善(しつぜん)(正法を受持する者を怨嫉(おんしつ)すること)
   ⑭恨善(こんぜん)(正法を受持する者を恨(うら)むこと)
の十四です。
 大聖人様は、
 『此の十四誹謗は在家出家に亘(わた)るべし』
と仰せられ、さらに過去の不軽菩薩の礼拝(らいはい)行を例に挙げ、法華経(三大秘法の御本尊)を持(たも)つ者をお互いに謗ってはいけない。その理由は、法華経(御本尊)を持つ者は皆仏であって、仏を謗れば罰を受けるのは当然だからである。このように心得て唱える題目の功徳は仏の唱える題目と等しいと御指南されています。」
『日蓮正宗ウェブサイト』御書解説より抜粋

検証結果

顕正会の皆さんが検証しやすいように、双方の御書の同一箇所に下線を引きましたので、参考にしていただければと思います。

まず、顕正会書籍の下線部分をご覧いただくと分かると思いますが、以前記事にした「二十六箇条の御遺誡」と同じく「乃至、」を使って御書の御文を改ざんしていることが分かります。

次に、「此の十四の誹謗は在家出家に亘(わた)るべし、恐るべし恐るべし。」の御文の前後には、常に我々凡夫が誡めなければならない謗法が説かれており、前には「十四誹謗」、後には「不軽菩薩の礼拝行」がこれにあたりますが、改ざんした箇所が即ち隠蔽した御文ということになります。

では、どうして御文を隠蔽しなければならないのでしょうか?
それは「浅井昭衛にとって不都合だから」であり、即ち「全顕正会員に知られては困る内容だから」と言い換えることもできるかと思います。

その理由は次の通りです。
大聖人様は「不軽菩薩は一切衆生に仏性がある故に、法華経を持てば必ず成仏することができる」(趣意)と、不軽菩薩が礼拝行を欠かさなかったことを説かれた上で、法華経 (三大秘法の御本尊) を持(たも)つ者は「十四誹謗」に留意すべきことを訓戒されて、お互いに謗ってはいけないと御教示です。

ここまで書けば、言わんとすることが大体お分かりいただけたと思いますが、大聖人様の「十四誹謗」の訓戒と、浅井昭衛の日蓮正宗に対する誹謗中傷に加え、昨今の顕正会教学部を総動員した「宗門末寺糾弾」を教宣する姿とは全く正反対、真逆なのです。

要するに、大聖人様の訓戒であっても浅井昭衛にとって不都合な「十四誹謗」の御文はすべて隠蔽した上で、自分勝手に仏法を解釈し、自分の思い通りに顕正会員を欺(あざむ)いているに過ぎません。
つまり、結果として「大聖人様の教えとは似て非なる」間違った教えを広めているのです。

<参考>
 謗法とは、誹謗正法の略で、正しい仏法に背くことをいいます。末法今時における正しい仏法とは、いうまでもなく日蓮大聖人の御説きあそばされた三大秘法でありますから、これを信じないことがもっとも根本の謗法となるのです。(中略)
 「十四誹謗も不信を以て体と為せり」(御書38㌻)
と仰せのごとく、所詮は正法に対する信・不信によって一切が決せられるのですから、総じて富士大石寺におわします大御本尊を拝まない者は、一人の例外なく謗法の重罪を犯しているのであります。
 なかでも、いわゆる邪法悪教を尊び、それに随順する檀信徒は、知ると知らずとに関わりなく、すでに正法の存在をまぎらわす魔の手先となっているわけで、いかに日蓮正宗の悪口を言わぬとも大謗法を免れません。
『法華講員の基礎知識』(59~60頁)

破折

『「松野殿御返事」を拝し奉る』(浅井昭衛著書)の後半部分については、単に著者が主観を述べているに過ぎませんが、これについて少々破折を加えます。

まず、大聖人の御心に背いて唱える題目について三つを挙げています。

 一については、不相伝家の日蓮宗を基とする在家仏教団体 (新宗教) を派生している歴史的事実、またその教えが釈尊を本仏としている関係上、末法の法華経ではありません。

 二については、本門戒壇の大御本尊御在所であり、大聖人様が『日蓮一期弘法付嘱書』に「血脈の次第 日蓮日興」と仰せの唯授一人血脈相承が在(ましま)す根本道場であり、広宣流布の暁に本門寺と号す霊場ですから、自分勝手な解釈は厳に慎まなくてはなりません。

 三については、その前身は宗門より講中解散処分を経て信徒除名処分に付された元妙信講であり、こちらも日蓮宗や創価学会、正信会と同様、不相伝家の門外漢であり、またその教えが大聖人様の教えに違背した開眼供養のない本尊、所謂ニセ本尊を対境としている関係上、末法の法華経ではありません。

上記二について自分勝手な解釈をするところが「十四誹謗」に当たるのであり、三についても、法華講連合会への加入を拒むという宗制宗規を無視した傍若無人な振る舞いや、宗門の公式決定に従わず野外集会等で国立戒壇を教宣し続け、宗門より付された講中解散処分にも従わず、自己正当化し、遂に日蓮正宗信徒間に於いて創価学会本部襲撃事件という社会的事件を起こし、その後も教団を再建するところに「十四誹謗」の業因が既に存在しているのです。

つまり、大聖人様仰せの「但し此の経の心に背きて唱へば、其の差別有るべきなり」とは、日蓮大聖人の仏法である三大秘法に背く一切の宗教・思想のことであり、その内の一つが、矛先を宗門に向けて「誹謗正法の重罪」を推進する浅井昭衛率いる元妙信講 (現・顕正会) です。

記事にした経緯

5月の御講で『松野殿御返事』(別名『十四誹謗抄』『末代禁抄』)を拝読し、御指導を賜りました。

この頃、顕正新聞では「活動報告」という名目で「宗門末寺糾弾」と称する見出しが躍っており、その中でも顕正会が日蓮正宗の末寺に対して起訴した名誉毀損に基づく損害賠償請求訴訟がありました。
栃木県宇都宮市の誠諦寺様 (顕正新聞 H31.2.15号/H31.3.5号) 、埼玉県川越市の本種寺様 (顕正新聞 H31.4.5号) に対する訴訟裁判記事等は記憶に新しいと思います。

御講から数日が経った頃、ふと顕正会書籍である『「松野殿御返事」を拝し奉る』の存在を思い出し、「顕正会でも御書を拝読していれば、正法である日蓮正宗を誹謗しない筈なのに…」との思いで更に数日を過ごし、ようやく夏期講習会登山の前日に、その書籍を目の当たりにして愕然(がくぜん)としました。

大聖人様の御金言である「十四誹謗」の訓戒がすべて隠蔽されていた事実を知って、「情報操作された顕正会書籍では、絶対に大聖人様の御心が分かる筈がないこと」をその場で理解しました。
疑問から理解するまで僅(わず)か、一週間足らずの出来事でした。

   ◇   ◇   ◇

⚠ 大聖人様が「十四誹謗」の訓戒を示されて、さらに法華経 (三大秘法の御本尊) を持(たも)つ者をお互いに謗ってはいけない、との仰せにも関わらず、顕正会が末法の法華経即ち本門戒壇の大御本尊を身に持つ日蓮正宗僧俗を誹謗中傷することは、大聖人様の仰せに背反していませんか?

なぜ、御書を改ざん・隠蔽して、大聖人様の仰せと正反対のことをするのか?

以前、所属寺院の御住職様より「他人の陰口は、折伏とは正反対の行為ですから、そういう事は止めましょうね」と御指導を賜りましたが、
仏様は仏界、その反対の行為は三悪道 (地獄・餓鬼・畜生) 、四悪趣 (三悪道に修羅界を加える) ということが分かれば、自ずとその答えが垣間見えてくるのではないでしょうか?
そこに誘導するための手段が御書の改ざん・隠蔽だとしたら…

新宗教から一日も早く脱会し、末法に広宣流布すべき御本仏宗祖日蓮大聖人の出世の御本懐である本門戒壇の大御本尊に御目通りさせていただきましょう!
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